ROUTE52が出来るまで(2) ~料理と山梨への愛を語る~

ようやく続きを書くことが出来ました。
前回の記事にコメントを書いてくださり、ありがとうございました。
続きを早く書きたい!と思うことが出来ました。
いざ書き始めると、いろいろ思い出して書き過ぎちゃうもんですね。笑
今回かなり長編になってしまいました。飽きずに読んでいただけると嬉しいです。

さあ、では続きを!



静岡大学へ入学し、ひとり暮らしが始まりました。
そこから、本格的に私の料理生活も始まりました。(でも、幼い頃から時々家族の夕食を任されたりしてましたが。)

まず、私の料理愛に影響を与えたのは、静大数学科の友人たちとの飲み会でした。

なぜかは覚えていないのですが、同じ学科の友人たちに「みずきは料理がうまい」ということが知れ渡り。
そこで、家での飲み会での料理担当になったのです。(もちろん会場はみずき宅)
いつも4限終わりに教室で友人と話をしてて「今日○○が食べたいんだよなー」と言われると、飲み会が開催される合図。
私は学校帰りに食材を買って帰り、せかせかと料理を始め、友人たちは飲み物を持って続々と集まってきます。
そして、友人たちは料理もできあがる前に飲み会スタート。私はキッチンで飲みながら料理の仕上げ。
料理が出来たらみんなでたらふく食べる。そんな飲み会でした。(友人に聞いたところ、今まで家で作ったものの中で一番美味しかったのは”ほうとう”らしいです。笑)
多いときは8畳くらいのスペースに10人くらい集まり。狭いながらに楽しかった思い出です。
今思うと、あのときから誰かに料理を振る舞っていたのだなあと。あの頃から料理を振る舞うことに楽しさを抱いていたのだなあと。
今でもその友人たちとは仲が良く、ROUTE52でも飲み会を何度もやりましたね。
そのたびにあの頃の8畳部屋での飲み会を思い出します。

完全に余談なんですが、その当時にも一度お店を作ろうと思ったことがありました。
友人たちと、「みずきの飯うまいから店やれるよ!」という話になり、大学2年生の頃に友人と静大付近に物件を探しに行きました。
当時はお店を始めるにあたって必要な資格とか書類とか、そういうのなにも知らなかったんですがね。笑
静大付近のアパート借りて、そこで店やろうとしてました。(それをやるには設備面で難しいですが、当時はそんなことも知らずに。)
コンセプトもあり、全然いけるじゃん!とか思ってましたが、もちろん収支計画などは何も考えておらず。結局断念してしまいました。(このときやろうとしたコンセプトは、いつか実現しようと思っているので、今は伏せておきます。笑)



また、学生時代のアルバイトも私の料理愛に大きな影響を与えていました。

入学早々にアルバイトをしようと思い、特に深い意味もなく某居酒屋チェーンのキッチンスタッフとなりました。
しかし、そこでのアルバイトは長続きせず、2ヶ月ほどで辞めてしまいました。

次のアルバイトどうしよう・・・と考えていた矢先に、同じ大学の友人に「みずき料理うまいし、スタッフ不足してるから手伝って!」と誘われて、某ファミレスチェーンのキッチンスタッフとなりました。
それが私にとって大きな転機になったわけなのですが・・・

そこのファミレスでは、本当にスタッフが少なく、大忙しでした。
しかし、私はそこで運命の人と出会うのです。私が今でも”師匠”を仰ぎ、尊敬する方と出会いました。(Nさんとしましょう)
Nさんは、年は私より一回りくらい上で、定職につかず、いわゆるフリーターさんなのですが。
当時、そのファミレスのバイトリーダーてきな立ち位置で、同じキッチンスタッフだったこともあり、私にもたくさん指導してもらいました。
料理経験は豊富で、以前から中華料理店で働いたりもしていたそうです。(あまり詳しい経歴は知らない。というか、聞けなかった。笑)
お店への愛情を人一倍強い方で、誰よりも店のことを考えている。そういう方でした。

ファミレスながら、Nさんから料理についてたくさん教わり、またNさんが商品の発注や店のシフト作成をしていたので、私も横に引っ付いて多くのことを学びました。(なぜバイトがシフト作成してるんだっていう話ですが。そういう店だったのです。笑)
また、飲食店で働くにあたって大切なこと、社会人になる心得など仕事面以外のことも多く教えてもらいました。

私もNさんに習って様々な業務を覚え、いつしかシフト作成や発注もやったり、新入社員やアルバイトへの指導やメニュー改定の際のOJT、食材の配置や効率のよいマニュアルづくり、キッチン内の掲示物作成なども担当するようになりました。

そんなことが相まって、そのファミレスチェーン店で働くことがとても好きになり、そこで仕事する時間も増え、気が付いたら「休みは月に4日だけ、週末は15時間労働」なんて日もよくありました。(労基法ではダメなことだと思うけど。)
月に250時間以上の労働時間だったりもしましたが、辛いと思ったことはまったくなく、とても楽しんでいました。
その頃には、私は飲食店で働く楽しさ、喜びを覚えてしまいました。
いわば、あの時のファミレスチェーン店でのアルバイトが、ROUTE52を開業するきっかけの一部だったのです。




そして、山梨愛について。

正直、山梨に住んでいた頃はあまり山梨愛はありませんでした。笑
静岡へ引っ越してきて、”山梨が恋しい”と思う瞬間もなく、静岡での生活を楽しんでいたわけなのですが。

まず最初のきっかけは”食”なのかなと思います。
先述の通り、同じ学科の友人たちに料理を振る舞っていたのですが。
地元の友人と遊ぶ用事があったので、山梨へ帰省していたときに「せっかくだからほうとうの麺を買っていって、みんなに作ってやろう」と思い、購入して帰りました。
そして、ほうとうを振る舞ったところ、友人たちから大盛況。
また、実家から桃や葡萄を送ってもらったときにも、友人たちと食べたら大盛況。
普段、なにげなく食べていたけど、山梨の食ってこんなに評判いいんだ!って知った瞬間でした。

次のきっかけは”静岡に住んだこと”なのかなと。
県外に出ると、「地元ってどんなところなの?」と聞かれることがよくあります。
大学でも、バイト先でも。世間話でも、飲み会でも。
そのときにいつも答えに困っていて。「山梨のこと何にも知らないんだな」と思った瞬間でした。
それから、山梨ってどんなところなんだろう?どんないいとこがあるんだろう?と考えるようになりました。
幸い、そのときはすでに車を購入していたので、いろんなところに行ったりもしました。
高校生までは交通手段も少なく、行ける範囲が狭かったので、あまり山梨について知れなかったんだなあと思いました。

また、静岡に住んでみると、「山梨のワインがない」ことへの驚きがありました。
地元だと、当たり前のように山梨のワインが売っていて、当たり前のように”ワインといえば山梨”という感覚があったので。
なので、山梨のワインのことも知ろうと思ったのも、ここからでした。
とにかくいろんなワインを飲みました。
「やっぱり山梨のワインが好きだなー」と感じたのも、静岡に移り住んだことがきっかけでした。


地元にいたら、地元のよさは見えづらい。私はそう思います。
外に出てこそ、地元のよさがわかり、より地元が好きになる。(恋人と別れてしまってから、いかに恋人のことが好きだったか気づく。それと同じようなかんじですかね。例えがわかりにくいですか?笑)
私はそのようにして山梨のことが好きになりました。





次回は飲食業への愛、そして現在通う静岡県立大学について書くことになりそうです。
はたして、いつになったらROUTE52開業の話になるのか・・・
次には少し触れることが出来そうですが・・・
少しずつ話を進めていきますので、どうかお付き合いください。
また次回!お楽しみに!

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プロフィール
ROUTE52
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おはようございます。こんにちは。
こんばんは。
様々な時間帯にご覧いただいていると思うのですが。
閲覧していただきありがとうございます。
オーナーの山田瑞己です。
現在、静岡県立大学に通っております。

私は、静岡県で生まれ、高校生までは山梨県で育ち、大学進学で再び静岡県にきました。
母が静岡県生まれ、父が山梨県生まれだったこともあり、幼い頃から両県に馴染みがありました。

そして、私は静岡県に住むようになってこんなことを気づきました。
「静岡県と山梨県は隣同士の県なのに、山梨県産ワインを飲めるところがないのかな」と。
とても悲しく思いました。

私も育った山梨県の特産品を静岡県の人たちに楽しんでほしい。
そして、静岡県の特産品を山梨県の人たちに楽しんでほしい。
そう思いました。

その想いを現実にしようと思い、2013年7月に山梨県産ワイン専門バー“Wine Cafe ROUTE52”をオープンしました。
静岡県の人たちにもっと山梨県産ワインを気軽に飲める環境をつくりました。
しかし、惜しまれつつも2016年1月に閉店いたしました。

閉店後も両県の交流が加速するような形も模索しています。
そして、新しい店舗の開業に向けて日々奮闘しております。

もっと静岡県と山梨県が身近な存在になりますように。
「食」という両県の特産品を活かして、架け橋づくりを遂行していきます。
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